No.127 一日一善

秋も少しずつ深まり、暑かった、いや、暑すぎた夏からやっと解放されて過ごしやすい季節になってきました。

10月に入り、今年の終わりも見え始めてきましたが、体に気をつけて頑張りましょう!

先日、ネットを何気なく見ていたら、こんなブログ?を見かけ共感してしまったので、皆さんにもお伝えします(笑)

最近思うこと

最近僕が思う事は「人と人の繋がりが薄れてきている」という事です。
電車に乗っているだけで「どうして?」と思う光景をたくさん見ます。

お年寄りに席を譲らない人。
コロコロと転がる空き缶を誰も拾わない(自分のとこに来なきゃいいと思ってる。)
向かいに座っている人が携帯を落として目の前に来たのに拾ってあげない。

こんなのを電車に乗るたびに見ています。
みんなやさしさや思いやりが無いのだろうか?
いや、そんなことは無いと思う。みんな思いやりもやさしさも持っている。

ただ、みんな回りを気にして「かっこ悪い」とか「もし面倒なことに巻き込まれたら嫌だな」とか思っているんだと思う。

確かに万が一(本当に万が一)で面倒なことになるかもしれないし、人助けが逆に「ありがた迷惑」になるかも、なんて思うと気が引けてくるかもしれないが、そんな事でおじけづくなんて意気地(いくじ)が無さ過ぎる。

そういう時は誰かが手本を見せてあげればいい。

誰かがやればみんな「自分も」という気分になる。
みんな本当は「困っている人がいたら助けてあげたい」という気持ちはあるのだから、その気持ちを覚ましてあげるだけでいい。

一日一善(※)によって「人と人との暖かい繋がり」が再生してほしい。

そして、ひとつの一善から輪が広がって、あちこちに一日一善があふれたらもっといい世界になると思う。

僕はひそかにそんな事を期待しながら、一日一善をやっています。

※「人助け = 一日一善」ではないが、今のところ僕は困っている人を助けられたら、それが一番の一善だと思っています。

という、一日一善の勧めが書かれていました。

普段から、良いことをしたいと思う人たくさんいるとは思いますが、上記に書かれている通り、恥ずかしいとか、面倒だとか思われている人もいるでしょう。

ただ、人助けみたいな大きなことでなくとも、道端のゴミを一つ拾うでも一善になるのではないのでしょうか?

一つ一つが小さくても、大勢のひとが行えば大きな善になるのではないでしょうか?

この一日一善の勧めが少しづつでも広がっていけばいいなと思います。

有限会社 サトウルーフ建工 佐藤祐二